何故ゲームに熱中するのか
昔からあったゲーム。
それは時にトランプのようなカードゲームであり、じゃんけんのようなものであり、はたまたスポーツであったりします。
近年においてはここにテレビゲーム、携帯アプリが加わり、より多くの時間を「ゲーム」に費やすようになってきました。
人間が生み出したゲームという遊び、これは人間が興奮するよう、夢中になれるよう立案され洗練されてきました。
ではなぜこんなにも人はゲームに夢中になってしまうのか。
今日はこの疑問に向き合いたいと思います。
テレビゲームとスポーツ
最近、子どもがゲームばかりやって外で遊ばない、こんな話をよく耳にします。
外での遊びには鬼ごっこといった、いわゆるスポーツに近いものが該当するかと思いますが、それらスポーツにも十分な楽しさがあります。それでもなお、子供たちはゲームに夢中になり家から出ません。そこにはゲーム開発の裏に潜む、商いの存在がありました。
そもそもですが子供がゲームばかりすると嘆く大人たち、あなた達は一日のうち何時間ゲームに時間を費やしていますか?(ここでのゲームにはテレビ、動画、SNSを含みます)
もちろん体が動かすのが好きだから一日中スポーツをしているよとか、登山をしている、そんな方もいらっしゃるでしょう。しかし大多数の方はテレビや携帯アプリ、動画配信の閲覧といった電子画面に時間を費やしていらっしゃるのではないでしょうか。
それもそのはず、電子画面上には時間とお金をかけなくても貴重な、かつ面白いコンテンツがあふれており、それを自分好みに自動でカスタマイズしてくれるのですから探す手間すらかかりません。
本当は資格の勉強をしなければならない、自分の考えをまとめなければならない、家族との時間を増やすべきだ、頭ではわかっているものの、大の大人である私たちでさえその誘惑に打ち勝てていないケースが多いのです。それを子供に問うというのは滑稽でしょう、自分がいかに本質的に勉強の大事さを分かっており、それを子供に伝えようと思っていようとも、です。
ではどのようにこれらを防ぐのか、その点についてみてみましょう。
ゲームを防ぐなら不便に
誘惑の多い昨今、その対策法も盛んに議論されています。その代表例はあえて「不便」を作るにあります。
人間というのは元来弱い生き物です。目の前の誘惑に駆られてしまう生き物です。事実として道路へ車を止めた際、すでに落書きされている車の落書きは更に酷くなるのに対し、きれいな車への落書きはされなかったという実験が物語っています。
このように人は、何かしやすいという環境においては我慢が効かなくなってしまう生き物。そして私たちの周りにある電子機器というのはまさに、この我慢が効かなくなる環境。すなわち利便性といった点をとことん追求したものなのです。
面白いコンテンツ、興味のある話題、それらの検索データは知識データとしてサーバ上へ蓄積され、同じ関心を持った人々のデータを膨大な知識ベースから抽出し、「あなたへのオススメ」という形で提供してくれるわけです。
もうこのパワーはすさまじいもんです。なんせ検索せずとも開きさえすれば興味のあるものを提示してくれるのですから。これにより一度電子画面を見たが最後、数時間にも及ぶ時間の渦へと飲み込まれてしまうのです。
したがってこれを防ぐ方法は一つしかありません。利便さを捨て不便さを拾うのです。
携帯を例にとり具体例を挙げると
- 動画配信アプリ、SNSアプリをすべて削除
→アプリをタップするだけという利便性を捨て、検索するという不便さを拾う。
- 携帯にはロックをかけ、かつアプリは最小限
→携帯、アプリをついつい開くという行為をなくす。
- 一日あたりの使用時間に上限を設ける
→物理的に触れれなくする
です。特に使用上限を設定するという効果は絶大です。制限を解除するにはもう一度設定をやり直す他なく、不便さの象徴のような行為だからです。カリスマホストとして名を馳せたローランドもこの方法を実践しており、彼の場合はもっと過酷で使用上限に達した携帯は金庫へ入れカギをかけそう。
カリスマと呼ばれる存在ですら抗えない、我々の周りにはとんでもないものが溢れていることがわかります。
ゲームに夢中になる理由
このように強い力を持つゲームですがこれらはすべて開発者の努力の賜物です。
彼らからすると作成したサービスを使ってもらわなければ商売は成り立たず、使ってくれて初めて成功といえます。したがってそれらを作成する段階でいかに夢中にさせるか、という点を頭が良い人がアホほど研究しています。そうした熾烈な市場競争に勝ち残ったのが我々の目の前にあるYoutubeであったりtiktokというわけです。
そりゃ誘惑に勝てないのも無理がありません。彼らは人間の弱点を山ほど研究して開発を行っているのですから。
ここまでくると子供の遊び場所が外から家に変わったのも説明がつきます。お金のため、夢中にさせることにフォーカスした商品に対し、外での遊びはあまりにも弱すぎました。
しかしこれは悲観的な側面ばかりではありません、人が夢中になれることを研究した結果、生き残ったのが今のコンテンツであるならば、それらを紐解くことで私たちが夢中になれるコツが分かってくるからです。
皆誰しもが夢中に、楽しんで人生を謳歌したいと望んでいます。
以外にもその答えはつい夢中になってしまうゲームの中にある、こうも捉えられるのではないでしょうか。
人が夢中になる要素
例としてゲーム業界で注視されている、人を夢中にさせる条件が2種類あります。
- 主人公の強さは適当か。主人公に共感できるか。
- おかれた環境、すなわち緊張と緩和のバランスは心地よいか
仮に主人公が周りに比べて弱すぎてどうやってもゲームがクリアできない場合、なんの面白味もないゲームになります。また反対に強すぎてもボタンを押すだけの作業になってしまいます。そしてその主人公の状態に納得できなければ、そもそも先に進めようという気にさえならなくなるでしょう。これが①の理由です。
またRPGなどでは定期的にボス戦があったと思いますがボス戦ばかりだと疲れてしまいます。レベル上げの時間があるからボス戦に意欲的に取り込める、そんな点を指摘したのが②となります。
いかがでしょうか。確かに最近「ダークソウル」などのいわゆる死にゲーが流行っています。それはインターネットが普及し調べれば答えが分かってしまいゲームの難易度が下がってしまった、つまり主人公が強くなりすぎてしまったが故の反動かと思います。
このように時代の移り変わりとともに流行となるゲームも変化しています。
これらを我々の人生に置き換えてみましょう。なおここでは多くの人が最も多くの時間を費やすであろう仕事を例にとってみます。
①の主人公の強さは自身の能力と仕事の要求が釣り合っていないと苦しくなることを指します。また同時に仕事に誇りを持てない、すなわち自分=主人公の行動に共感できないといった状態では夢中に離れません。
②の緊張と緩和ですが、仕事のプレッシャーを常に受けるところでは壊れてしまい、反対に全くない環境ではだらけてしまいます。つまり程よく緊張と緩和が交互する、そんな状態であれば人は夢中になれるのです。
これを受け私自身、自分に問いてみました。
- 仕事に誇りを持ててる?
- 自身の能力と要求が釣り合ってる?
- 心地よいプレッシャーが常にある?
②に関しては少し難しいと思うくらいが良いと感じています。先の死にゲーが流行っていたとの話題から、ちょっと無理そうだけど何とか乗り越えられる、そのくらいの方が人は夢中になるのだと感じたからです。
現状私には①と②が足りないように感じました。②が足りないというと少し偉そうですがもう少しできるのになと感じたため、挙げさせてもらいました。
自分のやる仕事、せっかくなら時間を忘れて夢中になってやりたいと思った今回。
今の仕事では得れていないその感情を埋める仕事、それを探すヒントになったような気がしています。
皆さんはどうですか?宜しければぜひ一度考えてみてください!